動物愛護について

神奈川県動物保護センターを取材させていただきました。

目次:

①消えた猫たち

②龍が動物関係の仕事に就かない理由

③神奈川県動物保護センター

④センターの地下

⑤処分室の廃炉

⑥ふれあい広場の犬たち

⑦ゼロ達成の要因

⑧人間社会の不具合


①消えた猫たち


 今は周りに犬猫はいないものの、小さい頃はアパートの周りに野良猫がたくさんいて、中でも、小さなサバ猫のスマイル、シャム猫のシャム、その子どもの黒猫クロの3匹はいつも一緒に私たちと遊んでくれた。

 その3匹がある日、突然姿を消した。まだ幼稚園だった私や近所の子どもたちは少し遠いところまで探したが、結局見つからずに泣いたのを憶えている。

 スマイルにはキュートと名づけた姉猫がいたが、ずっと前にトラックに轢かれていなくなってしまった。他にも2匹の兄弟がいたが、いつの間にかいなかった。だから、3匹もまた事故に遭ってしまったのだろうかと思い、とても悲しかった。母は「あの子たちはきっとどこかで元気にしてるよ」と言ってはくれたが、なかなか立ち直れないまま、黒い猫を見ては悲しくなった。

 時が経ち、高校へ進学した頃、私は3匹のことをすっかり忘れていた。しかし通学途中の公園に黒猫やサバ猫がたくさんいるのを見かけ、小さい頃に遊んだ3匹のことを思い出し、毎日通るたびに懐かしんだ。ある日、何気なく、

「公園にクロとスマイルに似た猫がたくさんいてさ、昔のこと思い出すんだよね。何でいなくなっちゃったんだろうね」

 と言ったら、実は……、と母が言った。

「(当時の自治会長に)市に引き渡すから3匹を捕まえてくれって言われたから、その公園に逃がしに行ったんだよ」

 なななんと! 私が毎日会っているのは、昔遊んでくれた猫たちの子孫だったらしい。もう当時の猫たちが群れの中にいるかどうかなんて分からないけど、生き延びて命をつないでいたんだよ、ということを思わぬ形で知らせてくれたような気がした。

 3ヶ年皆勤を目指して高校へ通っていたある日の朝、徐行していた車に突っ込まれる事故を起こしてしまった(立ちこぎをしていて止まれなかった私が悪い)。膝を負傷しただけだったが念のため病院へ行き、残念ながら3時間の遅刻となってしまった。


②龍が動物の仕事に就かない理由


 前置きが長くなりましたが、つまり私は、小さい頃から猫と戯れ、仲良しだった彼らにも処分の危機が迫っていたという事実を知り、動物保護、動物愛護、犬猫殺処分その他のことを常日頃から憂うようになった、というわけです。

 犬猫殺処分を止めようとする取り組みや、そのための寄付を呼びかけるものから、ペット業界の闇、多頭飼育崩壊、動物虐待など、様々な情報が飛び込んで来るたび、彼らの置かれている状況を思い胸が痛みました。

 あまりの悲惨さに自分が何不自由なく生活していることに罪悪感を覚えたこともあります。

 早く止めたい、一匹でも多くの動物を救いたい。そんな思いに駆られるものの、お金もなければツテもなく、結局できることは何もない。それがまた苦しくて、自己嫌悪して……。

 何もできないのにニュースを見ると苦しくなるだけだからと、目を逸らしていた時期もあります。けれどもやはり気がかりで、何かできることを探してはその果てしなさに心折れる、をずっと繰り返してきました。

 動物が好きな人の中には、私と同じように心を痛め、何も手につかないほど落ち込んだり、強い憤りを感じる人もいるのではないでしょうか。自分のことのように、苦しくなりますよね。

 今回のトークはその痛みを和らげ、先へ進む目的もありました。内容が分割掲載するほど長いのですが、最後まで読んでいただければと思います。

 さて、本題に入っていきますが、そもそもそんなに気がかりなら、龍は作家なんか目指してないで動物を守る仕事に就いたらいいのに、と思うかもしれません。でも私は、動物の仕事には就きません。

 殺処分の問題はその原因が動物ではなく、“人間”にあるからです。

 学校のこと、家族のこと、育児のこと、環境のこと、経済のこと、労働のこと、命のこと。一歩下がって世の中全体を見れば、挙げればきりがないくらい多くの不具合を抱えています。今回は動物愛護をテーマにお話していますが、動物に関わる問題は人間社会とかけ離れたものではなく、世の中の不具合を示す氷山の一角である、と捉えています。

 どんな問題も同じところから生まれ、すべて繋がっている。そのため部分的に語ることは難しいからと、自分の中だけに留めていましたが、私が作家活動する目的が不透明であるとご指摘があり、自ら主催する個展で開示することにしたのです。

 神奈川県秦野市にある「神奈川県動物保護センター」では平成19年度は犬約500匹、猫約2,000匹が殺処分されていましたが、平成26年度、ついに犬の殺処分がゼロとなり、その翌年の平成27年には犬猫ともに殺処分ゼロを達成しました。

 生まれてからずっと神奈川県民である私にとって、それはとても嬉しいニュースでした。そしてなぜ他都道府県が未達の中、神奈川県が一番に達成することができたのかを知ることで、今後殺処分ゼロを拡大・継続していくヒントが得られる期待が生まれました。

 しかし、だからといって、センターを訪問する勇気はなかなか持てませんでした。もう殺処分をしていないとしても、実際に収容されている動物たちを目の当たりにすれば身につまされて、何も手につかなくなるような気がしたのです。それでも行こうと決意したのは、個展で話す以上、実際に自分の目で見る必要があると感じたからでした。

 そうして個展開催の3日前の9月19日、神奈川県動物保護センターを訪ねてきました。


③神奈川県動物保護センター


 神奈川県動物保護センターは小田急線秦野駅からバスで10分+徒歩10分ほどの場所にあります。

広い空と畑の奥にひっそりとセンターが佇んでいる

神奈川県動物保護センター

 平成19年度の処分数犬約500匹、猫約2,000匹から、26年には犬0匹、27年には犬猫ともに0匹と、殺処分ゼロを達成。その後も3年連続で犬猫殺処分ゼロを継続し、全国的にも話題となっています。

 しかし、3年前までは、まだ生きられる命を終わらせていた場所でもあります。建物に入る前から、収容されている犬たちの声が聞こえていました。

 殺処分って何なんだろう。そんな漠然とした気持ちになりました。

 受付を済ませ、まずはセンター課長であり、獣医でもある岩屋さんにお話を伺います。資料をいただき、これまでセンターでどのように動物たちを保護してきたか、犬猫の殺処分数がどのように変わって来たか、表を見ながら説明を受けました。

 その後、センターの中を案内していただきました。

 ※なお、掲載許可をもらってはいますが、掲載されている動物の譲渡その他に関するお問合せは私の方ではお受けできません。直接センターにご連絡いただけますようお願いいたします。

迷子の小鳥

手術台。避妊などもここで。人間用と違うのはV字になるところ

トリミング台。トリマーのボランティアもいる


猫たち

シャーと言われた

とても人懐こい

とても美人

ここにいる猫たちはみんな大人で、病気をしてたり老猫だったりする。乳飲み猫は17時15分に終業するセンターでは見切れないので、ボランティアに託している。

50cmくらいのカメ。 ミドリガメだそう。

屋台ですくったものがこんなに大きくなる。

屋上の檻には譲渡に向けて訓練中の犬たち。

散歩に出かけていて空いているところもあった。

他の犬にいじめられてしまい、いじけている子も。

近くには煙突があった。今は撤去されている。

そして、地下の収容部屋へ下りていきます。


④センターの地下


 ③の記事で、柴犬を最後まで見送られた方からコメントをいただきました。亡くした悲しみはそう簡単に癒えるものではありませんが、その生涯をご主人の下で閉じられたこと、そして見届けたことには、これからもずっと途絶えることのない、深い絆を感じました。

 これから書くレポートでは柴犬に触れるため、少し間を空けました。そしてここからは犬を収容している部屋や、収容されている犬の写真が出てきます。

 グロテスクなものはありませんが、身につまされてしまう方もいらっしゃると思いますので、写真は次の記事「動物保護センター内写真」に掲載いたします。犬が家族にいらっしゃる方は、閲覧の際十分にご注意ください。


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 センターの地下には6つ並んだ部屋があり、それぞれの壁は一方へ機械で動くようになっています。かつて、ここに保護された動物は6日間この部屋を移動しながら過ごし、引き取り手のない者は7日目に処分となりました。

 壁が動くことで1日目、2日目、と機械的に処分室へ追い込まれていきました。そのため収容部屋は6部屋です。そこに、密度は関係なく収容されました。現在はオスかメスかを分ける部屋として使用されています。

 見学していて気になったのが柴犬の多さでした。偶然かと思いきや、そうなりやすい傾向にあるようです。犬種の性質として、柴犬は主人によく懐きますが、主人以外の言うことはあまり聞かない気難しい一面があります。そのためなかなか譲渡先が決まらず、保護した後はこうして残ってしまうことが多いようです。私はこの時初めてその事実を知り、とてもショックでした。柴犬ブームと言われていますが、裏にあるこの現状を、どれくらいの人が知っているのでしょうか。

 命に流行なんてありません。しかしそれを煽る業界があるのも事実です。そして今の世の中は、特に判断材料を持たないうちに、大切なことを好き嫌いの感情論や勢いで決めてしまう傾向が見受けられます。その結果を象徴しているかのようでした。

 可愛いから好きという気持ちだけで飼ってしまう人には、犬猫の寿命は長すぎるのかもしれません。「飼いたいと思う気持ち」と「飼う資格」は必ずしもイコールではないのです。

 もう一つ、土地特有のものなのか、神奈川県では猟犬が捨てられていることも多いそうです。呼んでも戻って来ない者は猟犬に向いていないと判断され、捨てられることがあるとのこと。仕事のパートナーであるはずの犬を捨てる猟師が存在しているということです。代わりに家族が……と簡単にはいかないほど猟犬は厳しいしつけをされているため、飼い主の猟師が亡くなった場合でも、家族では面倒見れないからと結局手放されることがあるそうです。だからと言って、捨てるのはあまりにも身勝手です。

 法律により、動物を捨てると100万円以下の罰金が課せられますが、お金云々というより、モラルが低いと感じます。

 私が訪れたこのセンターでは現在処分室は稼働していません。しかし、だから大丈夫、というものでもありません。そして他県では今も同じ部屋の先で処分室が稼働しています。


⑤処分室の廃炉


 保護された者は6日かけて6部屋を移動し、7日目にガス室へ入れられます。その部屋はコンクリートブロックでできた二畳前後の広さしかない、箱のようなものです。

 ガス室には飛行機についているものと同じくらいの窓がありました。それは採光のためではなく、全員絶命しているかを職員が手作業で確かめるための扉です。多くの仲間が絶命している中、生き残ってしまう個体も稀にいるそうです。

 その場合は職員がこの扉から引きずり出し、薬を打って完全に命を絶ちガス室に戻しました。全員絶命したのが確認できると、ガス室の底が開き、動物たちはコンテナに落ちます。

 右側に移動して、ワイヤーで天井に持ち上げられ、奥の焼却炉へと運ばれて行きます。そして2基ある、2メートルほどの大きな炉へと投入され、焼却されました。天井には煙突の穴が今もあり、稼働していたころはそこから、外へつながっていて、煙が排出されました。

 今は焼却炉は廃炉にし、煙突も名残だけになっていますが、廃炉にする際、相当な費用が掛かった事と思います。センターは行政機関ですから、もちろん税金から。

 廃炉だけでなく、寄付を除けば保護動物のエサ代等も税金です。そのため、動物なんかのために税金を使うな、という苦情もあるそうです。センターの方がどんな思いで動物を保護しているか、どんな思いで彼らの命を終わらせてきたか。そんなことも知らず、他人事だからこそ言える苦情でしょう。

 現在、老朽化した施設の建て替えのため寄付を募っています(2017年9月時点)。新しく立て替えた施設には、処分室や煙突は作らないそうです。

 もう二度と処分しないという、センターの皆さんの思いを感じました。


※ 神奈川県動物保護センターの職員の皆さんは、東日本大震災の後、野放しになってしまった動物を保護しに行かれたそうです。大きな痩せ細った牛もたくさんいて、かわいそうだったと、おっしゃっていました。また、熊本地震の後も、被害に遭って飼い主と逸れたり保護された犬を預かっていたこともあるそうです。


⑥ふれあい広場の犬たち


 最後に、ふれあい広場へ連れて行ってもらいました。

 ふれあい広場には4匹の犬がいます。彼らには(みんなオス)動物の命の大切さを教える講演に同伴してもらっている、アイドル犬なのだそうです。

「あの子たちは本当に人懐こいから、人の気配がするとみんなで鳴きはじめるんだよ」

 ということでセンターの西側にある広場へ向かっていると、待っている犬たちが早速吠え始めました。元気元気。


ふれあい広場への道


この辺りは以前にも少し記事で紹介しましたね。


広々とした小屋と庭。


写真には写っていないが、鳥なども保護されていた。


 膝の上に乗るのが好きとのことで、ベンチに掛けるとぴょんと乗ってきました。10年近く犬に触れる機会がなく、そもそも小型犬に触れたことは思い出す限り記憶にありません。猫のようなふわっとした感じを想像していたのですが、意外とガシッとしていることに驚きました。


チワワの兄弟。手前が兄、奥が弟。


兄の落ち着きぶりが何とも頼もしい。


トイプー来た。みんな膝に乗るのが好き


兄。小さいけれど、意外と体はガシッとしている


弟はマイペース。


一番年下なのに顔がちょっと老犬に見える


ちょいちょい君。この子はマイウェイ。


あと、鼻が細い。


小さい犬は結構か弱いイメージがありましたが、心身ともに逞しい感じがしました。


小さいのに、傍にいると安心感があって、何だか嬉しかったです。


兄。小さいけど本当逞しい。


なんだか安心感を与えてくれる子。


膝に乗せたまま、センターから見える広い畑と空を眺めながら、


何十分そこに居たでしょうか。


 頭の中が空っぽになって、余計な力が抜けていく感じがしました。さりげなくセラピーうけていたんでしょうかね、わたし。それはそれは、癒されましたよ・・・・・・

 その後、程よい時間となりセンターを後にしました。

 センターに来てから2時間半ほど。色々なものを見て、考えて、感じました。


⑦ゼロ達成の要因


「殺処分ゼロを達成できた一番の要因は何でしょうか。」

 その問いに対し、真っ先に返って来たのは意外な答えでした。

 ボランティアで協力してくれる人が増え、預けていくていくうち、気づけば処分数がゼロになっていた、というのです。

 もちろん、助成金を設けたり、譲渡料(保護動物を引き取る際、引き取る側が払う手数料)を廃止するなど行政や自治体が努力したことも今日の成果に結びついてはいますが、処分を回避するために協力してくれる人が増えたことが大きな助けとなりました。

 しかし、神奈川県なら処分されないからと、安易に預けようとする人が増えてしまうと、また処分の必要が出てしまいます。センターでは安易な理由での預かりは拒否ができるようになりました。預ける前に飼い主が新しい預け先を自力で探すよう、努力を求めています。

 それでも預からなければいけないこともあります。その理由として圧倒的に多いのが、飼い主が高齢となり面倒が見られなくなったケースです。最近では犬猫の寿命も長くなってきているので、動物を飼う際は飼う側の年齢も考慮する必要があります。

 迷子になって保護される動物もいます。そのためセンターではマイクロチップを推奨しています。


旧マイクロチップ


 これは個々で登録する必要がありますが、現に私が見学した日も、マイクロチップで飼い主と連絡が付き迎えに来てもらえた迷子犬がいました。これは良い話でしたが、行方不明になった猫が命を落とす一番の原因は、交通事故だそうです。早く見つけてあげることで、事故から守ってあげられます。


新マイクロチップ。針が少し細くなった

 マイクロチップが役に立つのは迷子を探すことだけではないのです。センターではマイクロチップの指導もしていますので、動物を飼われている方でまだマイクロチップを入れていないという方は、ぜひ、速めの導入をご検討いただければと思います。

 動物が保護される理由として、最近では「多頭飼育崩壊」という言葉も耳にするようになりました。初めは一組のつがいだったものが、避妊去勢をせずに飼育するうち子どもが生まれ、それぞれの避妊去勢手術代が出せずどんどん増えていくことで正常な飼育が困難な状態に陥ることです。

 一匹でも多く救おうと、保護可能な範囲を超えて無理に預かってしまい、ボランティアの方が多頭飼育崩壊に陥るケースがあります。そうならないために、神奈川県ではセンターとボランティア間だけでなく、ボランティア同士で連絡を取り合う横のつながりが強く、お互いを助け合っているのだそうです。

 まだ生きられる命を終わらせてきたのも、処分ゼロを達成・継続できたのも、私たち人間の手でした。

 最近では、「地域ネコ」という、誰かが飼うのではなく、地域みんなの猫として見守り、共存しよう、という取り組みが広まっています。野良猫を捕まえて避妊去勢しもとの場所に戻すのです。そうすることで子どもが増えることを防ぎます。

 しかし猫が減ると、そこへよそから新しく猫が入って来るのです。そのため、近隣の地域が地域ネコの取り組みをしていない場合は猫を増やさないということが難しくなります。

 また、この地域ネコは猫が好きな人だけがやる活動ではありません。猫が苦手な方をも巻き込んで取り組まなければいけないのです。苦手であれば許容範囲も狭い、そこをどうすり合わせていくかが取り組みを継続する要となります。そのために、人間同士がうまくコミュニケーションを取れるかどうかが左右するところでもあります。


⑧動物の処分問題に映る人間社会の不具合


 犬猫を処分に追い込んだのは国のルールでも、保護部屋の壁でも、処分室のガスでもなく、

「人間同士のコミュニケーション不足」

 これに尽きると私は考えています。

 この考えは今までぼんやりとしていて、この深刻な問題がそんな単純な理由なわけがない、と自問自答していましたが、今回センターで色々なものを見聞きして、確信に変わりました。

 犬猫を捨てようとしている人の近所には誰かしら住んでいるはずなのに、預け先が見つからない・・・・・・。奇妙な話だと思いませんか。そもそも近所の誰にも相談すらできていない、なんてことも考えられます。処分に心を痛めている人のすぐそばで捨てられている命もあるのです。

 今の人間社会は単純で深刻な問題を抱えている。物言わぬ動物が何万と命を落とすその数は、人間社会に生じている不具合の数を示しているのではないでしょうか。

 小さな歪みが積もり積もって大きな問題へと膨らんできた、そんな気がします。その歪みをもたらすものこそ「人間同士のコミュニケーション不足」です。そしてそれは、犬猫の処分問題だけでなく、身近に動物がいない人にも影響しているのではないかと見ています。

 なぜコミュニケーション不足が起きるのか。

 日本では義務教育があるので、基本的な文字や言葉を誰もが学び、会話をします。しかし、相手の言葉を読み解くのは現状、個々の感覚が頼りです。

 定義づけることは難しいものですが、言葉を発した側と受けた側とで意味が一致しなければ、それはコミュニケーションツールとしてきちんと機能しているとは言えません。

 家庭や交友関係、それぞれの土地に根付く文化やルールも影響しますが、昔に比べ、今はあらゆる土地の人が入り混じっています。私自身、色々なところを流れて来ましたが、どこも、みんな考えていることがバラバラでした。もちろんそれが良い時もありますが、ちょっとしたことでトラブルが生じているのも見て取れました。

 それは自然の事だから仕方ないと言えばそれまでですが、それじゃ済まない事態になっていることが今、弱い立場の命に表れているのだと思います。

 じゃあどうすればいいのか。私はこの問題に対し、一つの解決策を提案します。

 寄付? ボランティア? できるならばそれも良いと思います。

 ですが、私が提案するのはそういうことではありません。

「人間同士がきちんとコミュニケーションをとっていくこと」です。

 人間社会に起きている不具合を、個性という言葉でごまかすのはもうやめましょう。これまでそれでうまくいっていたと言うなら、それは誰かが我慢していたことに知らん顔しているだけです。きちんとコミュニケーションをとって、不具合を取り除いていかなければ、いつまでも問題は解決できません。

 きちんとコミュニケーションを取っていくために必要なものは、言葉などのコミュニケーションツールと、もう一つあります。

「同じものを見る経験」です。

 私は自分の小説やイラストを「同じものを見る疑似体験」として位置付けています。日常、普通に生活している人の感覚に近いものを目指していて、そのためあまり大きな演出はしない方です。小説にしては物足りない、と感じる方は出て来ると思いますが(そもそも読んでもらえていない現状ですが)、いつか小さな歪みに直面した時、冷静に対処するヒントになればと思っています。

 また、この「同じものを見る経験」の大切さが、私が音楽ライブを強くお勧めする理由です。

 ただ好きだからおススメしているわけではないのです。ご紹介するアーティストの皆さんは素直に演奏やパフォーマンスが素晴らしいので、普通に楽しんでいるところもありますが、どのアーティストもメッセージ性が高く、そこに集まった人たちに同じものを見せる“力”を感じています。

 一人一人が手の届く身の回りから整えていく。それが円満なコミュニケーションへとつながります。そして遠回りに見えて、それが犬猫殺処分をなくすことへの一番の近道だと思います。なので、この問題に心を痛めている方はどうぞ、「自分には何もできない」とご自身を責めないでください。

 ご自身の周りを整えてくことが犬猫処分問題への解決策として、今日からはぜひ、まずはご自身を大事にし、周囲ときちんとコミュニケーションをとっていくところから、ご協力いただければと思います。


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 以上が動物愛護をテーマにしたトークでした。

 既にとても長くなりましたが、これ以上はあれもこれもつながってしまうのでここが限度ですね。とにかく、手の届かないところをどうにかしようというのは無理なので、身の回りから整えてコミュニケーションとっていきましょう! という内容です。これはテーマが変わってもベースは同じことを伝えていくと思います。

 そして、まだまだ未熟な作家ですが、ぜひこうした思いを抱きながら書いている小説をお読みいただければと思います。ホームページで紹介していますので、ぜひご覧ください。よろしくお願い致します。


龍 九尾




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龍九尾のオリジナル小説・イラスト情報

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