熊手の夢

【夢の話】

 誰かが亡くなって、でも私は悲しむことはせず、「お疲れ様、新しい命も頑張ってね」と、亡くなった人が歩いていく道の土汚れ(穢れ)を熊手のようなもので払ってあげることで、その人がより良い状態で神様の元へ向かい、幸せな人生に生まれ変わるよう、最後にしてあげられる友人としての施しをする。

 そうすることでまたいつか会える。だから大丈夫だと、優しい気持ちで土を払う……
 そんな夢を見ました。
 イラストは熊手のような竹製の道具。iPhoneの手描きなのでいかつい感じですが、怖い道具の印象ではありませんでした。
 いつからか、人が亡くなるのはそんなに悲しいことではないと感じるようになってきました。

 もちろん身近な人がいなくなったら実際悲しむのでしょうが、その人はもう苦しんではいない、という事実を大切にする傾向があり、お疲れ様、また会おうね、と心から願ったりしています。

「生まれ変わってもまた会いたいと思えるか」

 今はそっちのほうにフォーカスしている自分がいて、最後にそう思える関係性を築けたなら、それは幸せなことなんじゃないかと、そんな不思議な感覚なのです。

 鏡は反対、写真は過去。

 自分の本当の姿は自分では一生見えないもので、それを唯一映すのが他者の存在といえます。他者が自分を見ることで、初めて自分の存在を知る、そういうものだと思います。
 だからこそ、生きている間に、もう二度と会いたくない、と思い合うことは、最も悲しむべきことなのかもしれません。

 何で急にこんな話を書いたのかというと、単に印象的な夢を最近見たから、ということもありますが、何かに書かされているような感覚です。よく分からないのですが。

 命は永遠ではありませんし、それは誰もが同じで、だからこそ繰り返し繰り返し、色々な形で再会するのだと思います。
 色褪せぬ愛(かな)しい日と

 もう一度逢えるように

『Remercy』という自作の歌詞でこんなフレーズを書いているのですが、それが夢になったような感じですね。
 何だか希望のある、優しい気持ちになる夢でした。

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